お怒りごもっともではございますが

疲れたなあ。
しかし、仕事は楽しいです。
忙しい職場が自分には向いているようです。


最近は怒りの表出について考えることが多いです。



ムカついたことを例えばblogに書く人は多いですが、
コメントでエラソーに諭されたり、直接ではなくても、いろいろ自分にとってありがたくない反響があった場合、よりムカつきが増してしまい
どうしようもない状態に陥ったりします。


自分はよく「エラソーに何様だてめえ」と思われがちですが、まあオレサマなんでしょうがないです。ププ。



他人を批判するという行為はとかく批判されがちですが、「他人を批判する人を何様だと批判する」というのも、「他人を批判する」行為でありますので、同じ次元のお話ですよ。優位に立ちたいなら別の手段をとらなくては有効ではありません。アホっていうお前がアホじゃ、というお前がアホじゃということになってしまい、子どもの喧嘩だねえ。トホホ。


まあそんなことは本題とは関係ありません。要するに怒りとは表出したときに、同感してもらえないと、よりましてしまうヤッカイなシロモノだと自分は言いたいわけです。


ムカつく〜といったとき、あるいは書いたときに、「そうそう、わかるわかる、あいつマジムカつくよね」とか「そういう状況ならムカついても仕方ないよね」という答えをどこかで人は期待しているのではないかと思えてならない今日この頃です。


で。ここで1つの問題が生じます。
怒りを表出するときに。自分はどこにゴールを置くのか。ってことです。

感情に任せるまま、誰かの悪口を、どこかの会社の批判を書きなぐり、しゃべくりまくり。とりあえず己はスッキリするが、読んだ人、聞いた人に、直接批判されたり、あるいは、諭されたり、なだめすかされたり、くらいだったらまだいいけど、自分のあずかり知らぬところで、冷笑されたり、イタいヤツあつかいされている場合もあるわけですね。

まあそれでもいいや、とにかく今吐き出してスッキリしたいというならとめませんが。冷笑やイタイ人扱いにたいていの人は馴れてない(あ、自分は馴れてますので書きなぐってますな)ので、しんどいと思うのですよ。オススメも出来ない。

それよか。
例えば怒りを感じた相手や会社に謝罪させる。
対外的に自分の地位をあげ、相手の地位を下げる。
などにゴールを設定したほうがいいのかも。

どうやったら「謝罪」させられるかは、まあ相手によるのですが。
少なくともこちらは圧倒的「善」あるいは「被害者」でなければなりません。そして「善」あるいは「被害者」になるための振る舞いは、案外カンタンだったりするんで。

要するに「ギャラリー」を意識した行動、言動を取れるかどうか、ってことなんだけど。自分などが直接手を下さずとも、「みんな」が手を下してくれる方法を考える、あるいは、相手が自ら頭を下げてくる方法を考えれば、おのずとできることは見えてきたりするのではなかろうかと。

ここまで書いてみて。

ほんまにマジムカつく、てめブッコロス状態でこんなことは出来ないわなあ。
冷静に策を練っている段階で、自分は、そないにムカついていないということですね。いや逆にムカつけば、そういう風に考えると、だんだんめんどくさくなってもうええわとなるかもしれません。
あるいはいい案が考えつくやも。

お試しを。