今のままじゃダメなの?

銭ゲバ、枝野のセリフ。

十分、幸せ。なのか。
そんなもんは自分で決めるのであり、わからんけど。
何をやっても乾ききっているのは、報酬とか地位とかではなく、求めるものがおそらくもうこの世には存在しないものだという事実。

日常のささやかなことに幸せ、的な気持ちがもてないと、なんというか、不幸な人になるのだろうと考える。たった一度きりの幸せな人生、などというものが果たして存在するのかどうかはよくわからない。


救いを求めて、スピリチュアルなところに行ってしまったヒトが自分の周囲にはすくなからずおり、傍目から見ても、幸せなんだろうなあとは思うが、到底同じようにはなれないねえ。


そんなことは普段は藪の中とか押入れの中にしまいこんでみないようにしてるんだけど、時間があるとだめね。やんなるね。

しかしながらおのれが正しくまた被害者であることをなんのためらいも恥じらいもなく大声で主張してはばからない人間よりは、品性の上でマシなのだろうというささやかな自負はあるw

誰かのせいに出来たらラクだろう。なんでもかんでも外に要因を求めていれば、仮の救済は可能だろう。本質的に自分自身の歪みや異常性に気づかなくて済むからな。笑えるけど。

今のままでいいわけねーだろと思いながら長らく生きていると、いまのままを肯定することは「負け」を意味するのであり。


しかしながら何に対して負けなのかはわからず。どういう状態が「勝ち」なのかもわからず。おそらく自分にとってこの世の中を渡りきるのは、とてつもなくハードなことであり、同時にはてしなくばかばかしく、あるいはイージーなのだ。

明日はまたくだらねー話題につき合わされるのかと思うと軽く落ちる。
まあ自分以外全員がウケているので、自分が考え方、感じ方を変えていけばすむことなのだけど。