若く見られる私です

あーイヤなタイトルだ!

わが朝では年令より若く見られることがもはやステイタス。
若い頃には「大人の女」になりたくて、ある年令からは、「10歳若い私」に戻りたい。一体女は「いくつぐらい」が理想なのか??

しかしながら20代前半の頃は実年令プラス5歳。
いつのまにか実年令マイナス5〜10歳に見られるようになった自分。

ウフフと喜んでいいのかといえば、決してそうではない。
単に落ち着きがないだけ、なのだ。同じ年の例えばめっちゃキャリアな友人などと比べると歴然とわかるのだが、自分には「厚み」がない。「語るべき体験」も、経験もない。いつまでもネナシクサのようにふらふらしている。

だから。

若く見える。
決してホメ言葉ではない。若さとは青さ。であるから。

正直なところ。周りの同世代の女たちが、年令を気にするのがわからない。1964年や、1965年に生まれてしまったのはもうどうしようもない事実なのだ。堂々と言えばいいのに。隠すとよけいオバハンくさいぞ。

桐野夏生の「OUT」に欲望を満たすために何かを買い、またそれによって欲望が喚起されるという女の描写がある。資本主義とはそういう女あるいは男がいないと生き延びられないシステムなのかもしれないから、アンチエイジング市場なんかも、仕方ないのかもしれない。

でもね、寄る年波には勝てないんだよ。
腰が痛くなったり、オールで遊べなくなったり、瑣末なことはどうでも良くなったり、老化現象はヒビ己がカラダを襲うわけで。ほならもう一緒に付き合うしかない、受け入れて愛するしかないのであり。

とっとと枯れてしまいたい昨今なので、年令を問われれば43歳とフツウに答えるし、若く見えますねといわれれば、おそらく相手はお世辞を言いたいのだろうと考え、ありがとうと答える。

しかしイイカゲン貫禄なるものをやっぱり持ちたいな。
30代に見えても、年収が上がるわけでないしな。