プラトニック少年ボウイ

プラトニック、プーラトニック、プーラトニック少年ボウイ〜♪


くさりはじめて30年になります。
途中「腐」であることを隠蔽して「文化系女子」を装ってきた時代もあったことを告白します。
でも根っこはやっぱり「腐」でした。すんませんでした!!


今の会社が最大級につまらないのは、音楽、文化の趣味が合う人が皆無だからです。見事なまでにみんな健全なのだ。それなりに皆さん知っておられるのですが、ハマリ具合が異なる。それは決して自分がディープなオタクであるという自慢ではなく。ベクトルが多分違うのだよ。ヤマトの諸君。


思えば自分は今まで恵まれすぎていた。誰がしか周囲に趣味の合う人がいた。それが今は皆無。ぐすんぐすん。また1人で妄想族だよ。脳内集会だよ

そういうことを前提として。
BL脳について少し語りたいと思います。
なんでもないようなことが幸せだったんだね。うん。ようわからんけどね。

BL脳とはなんでもかんでもBL目線で読み解くことです。
おしまい。



ていうかね。これ上野千鶴子とかがいうてる「ホモソーシャル」をおちょくってるわけだよね。いや憧れてるのかもしれんが、両方か。
フェミニズム目線で、腐女子を解読しようとした論文みたいなんもいくつか読んだことあるけど、本人が腐でないのでビミョウに実感としてズレている。

「男」は「男」が好きだよネエ。
「女」になりたいとかあまり思わないよねえ。
「男同士」でいいと思ってんだろ。みえみえなんだよ。


というところはフェミの人(自分の知る限りの)とも同感なのですが。

腐歴30年、既にシュールストレミングレベル、バクハツの危険性ありの自分などからすれば。それはもう、ネタにしかならないのであり。

同時に、昨今のメンズラブ的な年齢層の高い男子同士のカラミには、まったく触手もとい食指が動かないのもこれまた事実であり。
どーでもええねん。そのシーンは。

あえていおう。
腐の醍醐味は、「精神性」にあると。

70年代りぼんの名作「花岡ちゃんの夏休み」で、変人箕島氏が、メガネっこ花岡ちゃんに語る「プラトニックは男色だよ」の一言が、花岡ちゃんにショックをあたえ、中学生だった自分の人生をも変えたといっても過言ではない。
精神的ホモソーシャルな世界を腐は笑うべきである。萌えるべきである。
エロに偏るな。行為は二の次だ。

ゆえに。腐は原点である「美少年愛」に戻らねばならないのです。
しかも。プラトニカルでねじくれたエロスが立ち上るめくるめく禁忌と倒錯の世界へ。肉体は決して交わることなく、思いもまた口に出されることはない。しかしながら、見えないサムスィングエルス、何気ないセリフや行動からうかがい知れるものが自分をして感涙せしめるのであり。あるいはフェティッシュな視線ともいうべき描写。

妄想力を最大限に発動しうるような物語を。
少なくとも自分は待っているのであり。

それこそがファンタジーとしての最良の形なのですね。自分にとっては。