VELVET UNDERGROUNDを聴いてるアメリカ人とのほうが隣のオッサンよりわかりあえる

そんなことを書いてたのは誰だったのか。
そんなことを読んだのはいつだったのか。


忘れてしまったのですが。
なんとなくうなづけるのです。

聴いてて落ち着く音楽が一緒の人とは、国籍が違っていて、使う言葉が違っていても、なんだかどこかでわかりあえる感じがするのです。

もちろん。それは、音楽に過剰な思い入れをしすぎなのかもしれません。

ただ、この人の物事に対する捉え方がいいなあ、共感できるなあと思っている外国人がいるのですが、彼のipodの中身が自分のそれとほとんど同じだったことに、ああ、そうか、と興味深く思っています。

自分の好きな音楽というのが、さほどマイナーでもなく、かといってみんながみんな聞いているメジャーシーンの上位にいるものでもない。というビミョウな立ち位置で、しかもジャンルは多岐に渡っているので、ピッタリ合う人はあまりいないのですが。ここまで一緒だとすばらしい。

同じ世代の日本人なら影響を受けた文化というのは一緒ですから、その中で取捨選択するその幅だってあまり変わりない。
なんとなく○○派でざっくり分類できてしまう。

でもそういう○○派な人たちがマジョリティではないのですから。
むしろ自分たちは少数派に近いのではないかと思います。思いますが、今まで、自分と共通の音楽を聴く、好む人がかならず近くに複数名はいたのも、ラッキーというか、呼び合っているというか。

しかしながら、偶然同じ会社でであった外国人と一緒というのは、ちょっとビックリ。確かに自分も洋楽中心に聴いている人間ではあるものの。

全世界的に、○○から影響を受けた○○派みたいなんがあるのだろうか。
そいや、自分は米国のカレッジチャートとか好きでたまにWEBラジオで聞いたりしてるんですが、(最近はヒマがなくてチェックできてないけど)
そういう感じなのかな。

音楽というのは、案外その人の精神性を表すものだと自分は思っていて、好きな音楽とキライな音楽を知ると、なんとなくその人の人となりが見えます。

文章も同様です。好きな文章を書く人は、実際お会いしてもなんとなく気が合う感じがします。よほどキャラクターを作っていれば別だけれども、いや作ったキャラには、作為性が感じられますよ、そのくらいは見抜けます。

となれば表現、という問題になるのかな。
好む表現が一緒ということは、元にある精神性もどこかに共通点があるということ?

うんざりするような言葉や表現を多用する、あるいは自分がキライな音楽を好む人たちとはわかりあえない?

カンタンには言い切れないけど、後者はそうかなと今までの経験から思います。

英語もっと勉強しよ。うん。