無駄な記憶と知識の塊

m○xiのコラムを読んでいると、ときどき、イラっとする。
浅いのである。浅すぎるのである。自分が若かりし頃、インターネッツなどもない時代であったためか、異常に博学の先輩がおり、マニアな知識を口承文学のように伝えていただいたものだ。あるいは、本・雑誌なども濃厚なものが多く、自分はありきたりな表現を使えば、吸い取り紙のやうに、それらを脳に吸収し、理解分解再構築したものだった。

世界は不思議に満ち溢れていた。

昭和30年代に始まったテレビ文化というものに、特に自分は魅了されたため、古いドラマ、CM、などの研究に余念がなかった。大学でもそのような勉強をしたから余計だ。おそらくここでネットで検索できまっせ、という時代であれば、ディープにはまりこむことなく、さらりとした梅酒状態で終わったのだろうが、ところがどっこいそうは問屋がおろさねえぜって最近は中間業者省くところ多いですけどね、って問題は、おいといて(ここジェスチャーゲーム的にお願い)あのね、何がいいたいかというとやね。

たとえば死語の問題一つについてもちゃんと調べて書いてるのかと。
そういうことを言いたいのね。いやmix○のコラムの質の低さをこんなところで嘆いても仕方ないのかもしれんが、仮にもお前らプロのライターやろと。(学生のバイトかもしれんが)調べろと。ちゃんと先人たちが作ってくれた資料があるんやから。


クリック一つで裏づけがとれる資料がある
みたいな(ダサ)

自慢ですが、だいたいのことは記憶で書ける。でも仕事でやるなら絶対に調べる。いろんな層の人が見ても納得できるもんを作る。それがプロで当たり前のこと。

オレにやらせろとかいうてるんじゃないです。
なんと言うかね、資料集めに泣いた世代の人間からすれば、今の若い人はほんと恵まれてるんだから、もっとがんばれば?というお話。

ま、中年のたわごとなんだけどね。